中山道リベンジ 2日目(前編) 福島宿(ふくしましゅく)~鳥居峠(とりいとうげ)・・・
リベンジ2日目は、自由旅クラブ木曽三河家からスタート。服が乾いていない。昨日は雨の中を走り、何とかホテルまでたどり着いた。福島宿まで散策を予定していたが着いた頃には、すっかり日も暮れ真っ暗闇でした。(動画 – YouTube)
福島宿には箱根、新居、碓氷と共に「天下の四関」といわれた福島関所跡、上ノ段(うえのだん)地区には古い町並みも残りなかなか見所いっぱいだ。ホテルに置いてあった「木曽福島街あるきガイドマップ」で散策ルートを決める。何かと頼りないガイド本の地図では十分に散策できそうにない。ホテルに置いてあるガイドマップは重要な情報源だ。
朝食をいただきホテルを出る。7時40分スタート。今日は午後から雨の予報だった。午前中に頑張って鳥居峠は越えておきたい。
まずは、ホテルを出て山村代官屋敷の角を曲がる。橋を渡り大きな通りを突っ切った先に福島宿本陣跡の碑。
木曽福島駅まで戻る。そこまで戻るつもりはなかったのだが、上ノ段地区への道が分からず戻ってきてしまった。駅前の建物は新しいがデザインが町屋風で宿場町の雰囲気が漂う。自動販売機がなければなぁ~~
上ノ段地区には古い家が建ち並ぶ。久しぶりに江戸の街を感じさせてくれた。(動画 – YouTube)
行人橋歩道橋と木曽福島のマンホール。マンホールには福島関所がデザインされていた。
福島関所跡には駐車場の手前から坂を登る。線路の手前の細い路地を進むと福島関所資料館へ出る。冠木門をくぐり福島宿を後にする。
国道19号を走り、道の駅に中山道東西中間之地の碑。京と江戸との中間地点だ。ついに中山道の半分を走破した。しかし、まだまだ先は長い。
この先で国道から離れる。実は、中山道は道の駅の手前の七笑橋を渡ってすぐに国道から分かれていたのだが・・・
七笑橋を目標に国道を走るが、橋を渡ったのを気づかず、そのまま国道を走ってしまっていた。間の宿・原野には寄れずじまいだ。七笑(ななわらい)はお酒の銘柄にもあるぐらいなので、さぞかし立派は橋が架かっているのだろうと思っていたのだが・・・
宮ノ越宿(みやのこししゅく)では、入口あたりに明治天皇宮ノ越御膳水の井戸、駅前に本陣跡の碑を見つけることが出来た。あまり昔の面影は残っていなかったが、木曽義仲のゆかりの地らしく史跡や施設が多く見られる。
寄らなかったが義仲館への矢印。この先、中山道は木曽川に沿って進む。
巴橋と巴淵。巴橋の名は義仲の愛妾、巴御前(ともえごぜん)にちなんでいる。
この先、国道に合流。山吹トンネルを潜る。中山道の旅で唯一のトンネルだった。旧中山道では、山は越えるものだった。国道19号を走り藪原宿(やぶはらしゅく)へ。
「木曽川源流の里」の看板。ガイド本に「中山道はこの先寸断され、・・・」とあったので、とりあえず藪原駅を目指す。藪原駅でスマホの地図をチェックする。藪原駅には「鳥居峠登り口」と書かれた標柱が立っていた。藪原は宿場町より鳥居峠推しか? この先、鳥居峠を越えて奈良井宿(ならいしゅく)だ。
線路の下を潜って、駅をぐるりと回り藪原宿の中心へ。
藪原宿の入口には一里塚跡の碑とD51が展示してある。南木曽駅の近くにもSL広場があったけ! この先、少し行ったところに高札場跡。
クシの形の看板がある宮川資料館。萩原宿はお六櫛(おろくぐし)の産地として知られ、街道沿いにはお六櫛の店が数件ある。
宿場の中心を抜けると、飛騨方向への街道の分岐点に飛騨街道追分の標柱が立っている。この先、鳥居峠の峠道へ入っていく。いきなり「下が○」の登り坂。少し舗装路を走る。
「右、旧国道 左、中山道」と刻まれた石、自然道中山道の案内板。右に進めば鳥居峠の峠道に入って行く。案内板の横には杖置場があり、自然道の過酷さをものがたる。
やっぱりあるのね、石畳の道。そして、やっぱり出るのね、熊さん。
石畳の道を抜けると急な峠の登りが待っている。自転車を押して登る。標高984m、頂上も近い。急な坂を登り切ると広場に出た。ベンチが数個と湧き水が流れる水場があり、ちょっとした休憩所となっていた。4人のおばちゃん達が休憩している。天気は回復。雨の心配はなさそうだ。湧き水で汗だくの顔を洗う。もう少しで頂上だ。
頂上神社前、ロープが張られていた。鳥居まで行けんのか!ここから下って奈良井宿だ。
下り側にも熊除けの鐘と自然道そして石畳の道。
途中、展望台への別れ道があったので行ってみる。少し登った所に小屋が建っている。ここが展望台か? 景色が全然見えない! まだ、先があるのだろうか? 景色拝めず・・・戻る。
峠道の出口あたりで道は石畳に変わる。抜けると舗装路に出た。奈良井宿は目の前だ! 坂を下って奈良井宿へ。
後編へ続く・・・