東海道五十三次 1日目(前編) 日本橋(にほんばし)~藤沢宿(ふじさわしゅく)・・・
朝5時に起きて5:47にホテルを出る。今日は旅の初日。いきなりこの旅の最大の難所、箱根の峠越えに挑む。江戸・日本橋から京・三条大橋までの旧東海道は約500キロ。5日間で走破の予定いるので1日あたり100キロほど走れば達成できそうなのだが・・・。しかし、天気予報では明日は雨。午後から本格的に降りだしそうだ。「三島宿まで・・・今日は頑張って距離を稼いでおくぞ!」と意気込み、6時前にスタートです。三島宿までは約112キロ。
6:00 日本橋に中央に立つ。いよいよスタートだ!
わがアパートからの距離265キロ。思えば遠くへ来たもんだ。
次の宿、品川宿(しながわしゅく)までは国道15号を突っ走る。朝早いせいかクルマも人も少ない。京橋~銀座~新橋・・・ガラガラの東京都内を走るのは。なかなか痛快でした。
気持ちよく自転車をとばす。「西郷・勝会見の地碑」が目に飛び込んできた。最初に見つけた記念碑だ。この地で西郷隆盛と勝海舟が江戸100万の市民を戦火から守るため「江戸無血開城」を取り決めた。自転車を降りての記念撮影。まだ、余裕があったんだなぁ・・・自分。
品川駅を過ぎたら旧東海道は国道から離れる。
最初の宿場、品川宿へ。
6:40 品海公園(ひんかいこうえん)。「日本橋より二里、川崎宿へ二里半」だ! 一里は約3.9キロ。次の川崎宿まで約10キロ。
品川宿本陣跡。本陣(ほんじん)とは、宿場にある宿泊施設で、幕府の役人などが公用の旅で利用した宿舎である。幕府のご用達の旅館ってところか。それに対し一般の旅人が泊まる宿を旅籠屋(はたごや)という。本陣の建物はほとんど残っていなく、このように石柱が場所を示すのみ。なかなか見つけるのも大変です。ここでも自転車を降りて記念撮影。まだまだ、余裕がある。
やがて国道と合流。第一京浜を走り、多摩川の新六郷橋を渡ると東京都から神奈川県へ。さようなら、東京!
橋を渡ったところに「明治天皇六郷渡御碑」。昔は渡し舟で渡っていたのか~。
橋を渡って第一京浜の下をくぐり、しばらく行くと「いさご通り」川崎宿(かわさきしゅく)だ。
川崎宿では案内板を見つけることが出来たが、本陣跡などを見つけることは出来なかった。きっと、ちぃっちゃい石柱が立っていたんだろうなぁ~。
市場(いちば)一里塚碑。一里塚(いちりづか)とは、街道の一里ごとに築かれた塚のこと。街道の両端に盛り土をし、その上にエノキなどを植えた。旅の工程の目安となり、また人馬料金の目安にも使われたらしい。
キリンビール工場を左に見て国道に合流。近くに「生麦(なまむぎ)事件の碑」があるはずなのだが・・・ 工事していたためか、見つからず。代わりにビール工場を記念撮影。生麦事件とは、馬に乗った英国人が大名行列を横切ろうとしたところ、薩摩藩士に切りつけられた殺傷事件。まあ、この辺で起きたのだろうな~ってことで。
次の宿場は、神奈川宿。
神奈川宿でも本陣、見つからず。ガイドブックでは、本陣などの「痕跡はない」ってことなので、本陣跡などを示す石柱自体がなかったのかもしれない。唯一、見つけたのが「神奈川台関門跡」。
神奈川宿の案内板と神奈川台関門跡。
次の宿場は、保土ヶ谷宿(ほどがやしゅく)。
保土ヶ谷駅を過ぎ国道1号と合流するところに保土ヶ谷本陣跡。
保土ヶ谷本陣跡は、少し建物も残っている。
ようやく旧街道らしくなってきたぞ!
しばらく行くと一里塚跡、上方見附跡。見附(みつけ)とは、宿場の出入り口に設けられた番所のこと。宿場の両端に設けられた。宿場によっては木戸(きど)、口門(くちもん)と呼ばれる。江戸側を江戸方見附(えどかたみつけ)、京側を上方見附(かみがたみつけ)と呼ばれた。
ここは、上方見附なのでここで宿場の終わり。
次の宿場は、戸塚宿(とつかしゅく)。
上方見附跡から少し先にある杉並木と一里塚の案内板。横に旧道の道標が貼ってある。ここから再び国道から離れる。旧東海道にはところどころ道標が見受けられる。しかし、これに頼りすぎると・・・。
権太坂(ごんたざか)手前で道を間違えてしまった。国道1号と合流、ファミリーマートまで行ってしまった。9:30ここでファミマで休憩。権太坂の入り口まで戻る。
権太坂は、江戸から京へ向かう人が最初に経験する急な上り坂。「旧東海道は箱根、鈴鹿の峠以外は平坦だ」と聞いていたが、意外と坂道が多くあります。そういえば新幹線で静岡駅を過ぎた辺りからトンネルが多くなったなぁ~
権太坂を登りきると境木地蔵尊(さかいぎじぞうそん)。前の広場に「武相国境之木」のモニュメントが設置されている。この辺りが武蔵(むさし)と相模(さがみ)の国境だった。
少し行ったところに品濃(しなの)一里塚。品濃坂をカッ下って広い道に合流。旧東海道は道を横断して向こう側に続くのだが・・・ 横断歩道などなく横断できない。仕方なく旧道をはずれ国道をゆく。
国道1号を走り「益田家のモチの木」を目印に左へ。戸塚宿に入る。
しかし、ここでも国道1号をそのまま走ってしまう。忠実に旧道をなぞるのは、なかなか難しい。しかも、戸塚宿でも上方見附跡しか見つけることが出来なかった。やがて原宿一里塚。
次の宿場は藤沢宿(ふじさわしゅく)。
藤沢バイパス出口の信号から左に、道場坂を下る。またも道を間違える。
藤沢宿は何もなく通過。マンホールはしっかりGET!
次の宿場は、平塚宿(ひらつかしゅく)。
後編へ続く・・・