中山道自転車の旅 4日目 大井宿(おおいしゅく)~妻籠宿(つまごしゅく)
中山道自転車の旅4日目はルートイン恵那からスタート。朝食バイキングをいただき、フロントに預けていた自転車を受け取って、ホテルをチェックアウトする。午前8時、遅いスタートとなる。
駅前通りの道を中山道大井宿広場まで戻る。広場横の道路側に大井宿(おおいしゅく)の案内板が設置してある。この先の交差点を右に曲がり旧中山道に合流。大井橋を渡ると宿場の中心だ。ひし屋資料館、本陣跡と過ぎ、復元された高札場あたりから登り坂となる。上宿石仏群を横に坂を登り切ると道は階段に変わっていた。自転車を担いで階段を登ると国道401号にでる。少し登って左へ。岐阜県は中山道の案内の道しるべが多く走りやすいかった。
ずいぶんと走りトイレ休憩。のどかな田園風景の中を走っていると、トイレマークが付いた中山道の道しるべを発見。左を指していた。ここから中山道は左だろうか? ここまでほとんど地図を見ずに走ってきた。道しるべに従い左に曲がる。すぐにトイレがあった。地図を確認する。どうやらトイレの案内だったようだ。道は踏切をこえ坂本神社へと続いていた。
国道に出る。コンビニで水分を補給。中山道沿いには、国道から離れているせいかコンビニがほとんどない。再び国道から離れ中津川宿(なかつがわしゅく)へ向かう。
中津川を渡ると中津川宿の宿場町だ。重厚な造りの「はざま酒造」から左へ入ると古い建物が残り宿場町の雰囲気を味わえる。枡形(ますがた)を曲がり、しばらく行くと中山道歴史資料館。時間は9時30分。ちょうど博物館がオープンするところだった。その前、道を挟んで本陣跡の碑が立っている。この先、中山道は中津川市の市街地へと入っていく。中津川は山間の田舎町かと思っていだが、予想に反して都市化が進んだ都会だった。四ツ目川を渡ってすぐ往来庭。ちょっとした休憩所となっている。さらに進んで突き当たりに高札場が復元されている。
高札場からは登り坂。歩道橋のある広い道を横断し少し登ったところに石畳の道がある。次の落合宿(おちあいしゅく)は石畳の道が有名だ。いきなり石畳の峠の道が始まるのか? と思ったらすぐ舗装路に出た。U字に曲がった舗装路の登り坂をショートカットしただけだった。ふと、右手を見ると眼下には中津川の町が広がっていた。
与坂を越える。落合宿までは舗装路が続く。落合宿に入るとまず「助け合い大釜」が目に入ってくる。その先に本陣跡、枡形を抜けて宿場を後にする。旧中山道は県道7号を突っ切り、落合川へと出る。そこには絶景が広がっていた。クルマ一台がようやく通れるような細い橋。谷の合間を流れる川には大きな石がゴロゴロと転がっている。川上には小さなダムがあり水しぶきを上げていた。橋を渡った先は急な登り坂となっている。しばし景色の眺める。水道局の軽ワゴン車が僕の横を通り登り坂を登っていった。
しばらくして石畳の道へ入っていく。落合の石畳は、深い木立の中に続く石畳の道で雰囲気がとてもいい。石畳の道の中間あたりだっただろうか、木のベンチと石畳の案内板、TBSドラマのロケ地を示す立て札が立っていた。どうりで雰囲気がいいワケだ。時代劇かなんかの撮影かと思ったらサスペンスドラマだったので笑ってしまった。石畳の道を抜け、「是より北、木曽路」の碑を見て馬籠宿(まごめしゅく)へ。いよいよ中山道は木曽路へと入っていく。
人もクルマも通らないような旧中山道を走り、県道7号へと出た途端、状況が様変わりする。そこは観光客でいっぱいだった。県道にはクルマも多く走っている。県道を挟んだ先に石畳の坂道が伸びており、そこが馬籠宿だ。県道沿いに土産物屋が建ち、中国人のツアー客など観光客で騒がしい。中山道を走って来て、これほど人の多い宿場町を見たのは初めてだ。平日でこれだから土日はどうなんだろう? 石畳の道を自転車を押しながら登っていく。ず~と登り坂で道の先まで見え、美しい町並が迫ってくるようだった。人が多くなかったら最高だろう。だが、観光地っぽくってまったく生活観は感じられなかった。
島崎藤村記念館になっている本陣跡を通り、再び県道へ出る。さらにその先に旧中山道の道は続き、復元された高札場の先には展望広場があった。心なしか上に登るほど観光客は少なくなり、展望広場に着く頃にはほとんどいなくなっていた。展望広場の横の道をさらに進むと、道は階段に変わった。階段を自転車を担いで進み県道に一旦合流する。県道に出ると、観光バスが走り抜けていった。
県道からはすぐに離れる。この先、石畳の道や自然道のハイキングコースの山道に入っていく。山道の入口には大きな熊除けの鈴が設置してあった。入山時には鈴を鳴らせ! みたいな事が書いてある。鈴を鳴らすとカンカンと想定以上の大きな音が鳴り響いてビックリした。山道に入ると、いきなり石畳と階段の道が待ち構えていた。
ここまで来ると、さすがに人の姿はなくなった。と、思ったら後ろから一人、リックを背負った男が走ってくる。ハイキングコースをジョギングしているようだ。変わった人もいるもんだ。と思ったが、峠道を自転車を押して歩いている僕の方が変わって見えたにちがいない。
12時ごろ馬籠峠の頂上に到着。岐阜県と長野県の境界だ。途中で水を切らして喉はカラカラだった。峠の頂上には、たぶんこの区間唯一であろうジュースの自販機が設置してあった。が、「販売休止中」の張り紙がしてある。どうも登山者のマナーが悪く、空き缶などのポイ捨てが多いらしくて販売が自粛しているようだった。妻籠宿(つまごしゅく)まで水なしだ。
下りも中山道は自然道あり、石畳あり、時々県道のハイキングコースである。前からカンカンと、けたたましい熊鈴の音が鳴った。大学生ぐらいの男女4人の外国人パーティーが道を登ってくる。挨拶せねば・・・しかし、何と言って声を掛けようか? 外国人だからといって英語圏とは限らんし・・・。悩んだ末「こんにちは」と日本語で挨拶した。「・・・・。」と、何か挨拶を返してくれたのだが、聞き取れず。英語ではなかったのは確かだ。妻籠宿まであと一息。
大妻籠の看板が見える。看板の前を曲がると宿場町の雰囲気が漂い始める。大妻籠の集落を抜け、しばらく走り駐車場の横に出る。駐車場に妻籠宿の看板あった。午後1時20分、妻籠宿に到着。
そして、事件は起きた。
妻籠宿は馬籠宿と同様、古い町並がよく保存され雰囲気満点の宿場町だ。「妻籠宿を守る住民憲章」たるものがあり「売らない」「貸さない」「壊さない」の3原則がうたわれ、古い町並が守られている。ただ、馬籠宿と違っていたのは観光客がほとんどいなかった。たまたま時間帯がそうだったのかもしれない。駐車場が遠いのも一因か? 日本人は、とにかく歩くのが嫌いなようだ。
とりあえず、携帯電話のカメラで写真を数枚、撮る。すると、メモリーカードがいっぱいとなり保存出来なくなった。カードの中には、以前の旅の写真がフォルダ分けして保存してある。パソコンにも保存済なので、東海道五十三次の時の写真をフォルダごと消去した。すると、携帯電話がメモリーカードを読み込めなくなってしまった。・・・ 壊れた!
リックからデジカメを取り出す。妻籠宿の写真はデジタルカメラで撮ることにした。自転車を止め歩いて宿場内を散策する。
観光客は少なかったが、外国人のカップルが目立った。
全長800メートルに格子造りの家が立ち並ぶ
妻籠郵便局
誰が買うんだろう? 外国人にウケそうなジーンズを売る店。
宿場も終わり、またまた登りか!
さて、メモリーカードが壊れてしまった。中のデータがどうなっているのか? 気になってしょうがない。悩んだ挙句、旅を一旦打ち切ることにする。この先の南木曽駅から帰ることにした。
山道を抜ける。木曽川を横に見ながらSL広場を通り南木曽駅へ。
南木曽駅でゴール。ここから輪行で刈谷駅まで・・・
本日の走行データ
走行距離:35.5km、平均速度:6km。
注)この記事は中山道自転車の旅から帰った後に書いております。