東海道五十三次 5日目(前編) 四日市宿(よっかいちしゅく)~亀山宿(かめやましゅく)・・・
5日目は四日市市からスタートです。京の三条大橋までは約105km(ガイド本より)。予定通りにいっていないと思っていたが、なかなかどうして、何とか5日で走破できそうです。
昨日泊まったホテルは朝食付きだった。1階のレストランでバイキング形式の朝食をいただく。出来るだけ早くスタートしたかったが、レストランのオープンが6:30だったので、7:10スタートとなってしまった。腹いっぱい飯を食って、コーヒーを飲んで・・・ ゆっくりとしてしまいました。残りは100kmあまりだが、最後の難所、鈴鹿の峠越えが残っている。あんまりゆっくりもしていられない。
昨日まで悩ませられた強風はおさまっていた。天気は良好。今日は順調に行けるんじゃないか? 石薬師宿(いしやくししゅく)へ。四日市市内を抜けていく。
7:40 日永の追分の道標。「右京大阪道、左いせ参宮道」
ここまでは順調だった。しかし・・・
9:45 杖衝坂(つえつきざか)の登り口。
日永の追分からは・・・なんと2時間。この旅、最大のチョンボを犯してしまった! スタートで道を間違える、このジンクスは今日も健在だった。そして迷走・・・
日永の追分までは順調だった。昨日までの向かい風はなくなり、スピードもグングンのってくる。この分だと今日で東海道五十三次走破だーー!ペダルを漕ぐ足にも力が入る。そのせいか、この先、曲がるべきところを直進してしまう。「追分駅すぎ左」を直進。すぐに国道1号に合流して事なきを得る。内部川を渡って「杖衝坂へ、左に入ってすぐ右」を直進。これが致命的だった。迷走の始まりだ。
閑静な住宅街を抜けていく。なんか、おかしいなと思いつつ、下り坂でスピードはグングンと上がっていった。坂を下りきった所のローソンで位置を確認。目の前の道は伊勢街道だ。旧東海道から大きくそれて、とんでもない方向へと向かっていた。
さて、どうしたものか? 来た道を戻ればいいのだが、戻る時間を考えるとなぁ~。そこで、鈴鹿市内まで伊勢街道を走り、市役所の横から国道8号を走って旧東海道に戻ることにした。鈴鹿市内へ・・・
鈴鹿市は意外と田舎だった。市役所の場所が分からずにウロチョロ。税務署の案内標識はあるが市役所のがない。「市役所南」の交差点を見つけ、ようやく市役所を発見した。ここから国道8号を走って旧東海道へ戻る。国道8号はここが起点となっていた。国道とは思えないほど狭い。市役所を探すのに、だいぶ時間を食ってしまった。
国道1号に合流したのは午前9時を回っていた。しかし、まだまだ迷走はつづく・・・。
四日市から石薬師への街道は国道1号を縫うように走る。石薬師宿は石薬師寺の門前に開けた宿場だ。国道1号に合流したのは石薬師寺のだいぶ手前だった。石薬師宿はまだまだ先である。ところが、石薬師寺の先で合流したと勘違いしてしまっていた。「・・・しまっていた」そう、このことが分かったのは旅を終え、GPSロガーのログを確認してからだ!! 石薬師宿を目指し、国道1号を四日市方面へと戻ってしまっていた。
こうなると迷走は止まらない。石薬師宿に到着。いや、石薬師宿だと思い込んだ場所に到着。本陣跡を探すが当然見つからず・・・しかたがない、次の宿場の庄野宿(しょうのしゅく)へ向かうか! 宿場をあとにして国道に合流。すぐ左に、石薬師寺があるはずなのだが??? あるはずも無く、迷走の石薬師、終了。
そして、杖衝坂の登り口。なんと、迷走の始まりの地へと戻っていた。ここでスマホの地図を確認していれば、本物の石薬師宿を見る事も出来たのに・・・
「下が○」の杖衝坂は、大和武尊(やまとたけるのみこと)が剣を杖がわりにして越えたという故事が伝わっているほどの急な坂道だ。といりあえず、史跡を一つ見つけてホッとした。石薬師、何もなかったからなぁ~・・・
さて、だいぶ遅れてしまった。この先、国道1号に合流。遅れを取り戻さなければいけない。庄野宿までは国道1号を走ることにした。一心不乱にペダルを漕ぐ、風も穏やか、国道は走りやすくスピードものってきた。石薬師寺前を通り過ぎて行く・・・ ここで、気づけばよかったのだが。気は、前へ前へと向いている。庄野宿へは「庄野町北」の交差点を目標に国道1号を突っ走る。
そして、目標としていた「庄野町北」の交差点をも通り過ぎてしまった。京都まで行くぞー!と、気持ちだけが空回りしていた。この先で戻って庄野宿へ。
10:30 ようやく庄野の本陣跡。庄野宿資料館には先客がいた。お父さんと子供が二人、資料館から出てくる。久しぶりに観光客に会った。この旅では、ほとんど出会いがない。四国遍路の時は、お遍路さんと言うだけで出会いが向こうからやって来た。しかし、この旅では、ただただ自転車を漕ぐばかり。孤独との戦いでもあった。
ここで出会った親子はクルマで宿場を回っているようだった。お父さんが高札場跡の案内板を子供に読み聞かせているのだが、子供は興味を示さず。ただただ、はしゃいでいた。しかし、東海道の歴史は小学生には少し難しいんじゃないか? 頑張れ!お父さん。
庄野宿には8:30の到着を予定していました。・・・2時間も遅れている。京都までは、まだ90km以上も残っているうえ、鈴鹿の峠越えが控えている。う~ん、どうも今日、ゴールするのは無理みたい。そこで、今日は滋賀県の草津市まで行くことにしました。
草津市は、2年前まで住んでいた馴染みの地。新幹線の駅は無いが、ホテルは多くあった記憶があるので、宿の心配はしなくてすむ。と、理由は付けてみたが・・・何よりも、行き着けだった飲み屋で飲みたかった。話す話題には事欠かない。この孤独な旅を武勇伝ぽく語ればウケルだろう。今夜は草津でプチ豪遊、東海道五十三次走破の前夜祭だ!! 次の宿場は亀山宿(かめやましゅく)。
庄野から亀山までは、国道1号から離れ旧東海道を走る。ゴールを諦めた事で気持ちに余裕が出来た。少しゆっくり走ろうか・・・
中富田一里塚。安楽川を渡り巡見街道を走り亀山宿へ。
11:30 江戸口門跡。ここから亀山宿だ。
亀山の商店街。屋号が書かれた木札が並ぶ。木札があるだけだが、昔の町並みが想像できる。いろんなお店があったんだな~と。
野村一里塚。幹周り6m、樹齢400年のムクの木がそびえる。
次の宿場は関宿(せきしゅく)だ。
後編へ続く・・・