みちしるべ2

元トヨタ期間工が田舎でゲストハウスを経営!日本でゲストハウスは馴染まないのか?

東海道五十三次 5日目(後編) ・・・関宿(せきしゅく)~石部宿(いしべしゅく)、ビィビィ

     東海道五十三次の旅

・・・ 前編の続き

関宿

関宿は、古代に鈴鹿の関があったところ。箱根と新居の関所は江戸時代のもの。ここは間違いなく東海道五十三次の最大の見所だ。国の重要伝統的建造物郡保存地区となっており、地区内の7割は戦前までの建物だ。電柱も一掃されている。

関宿への入口

関宿への入口。国道1号から江戸時代へと・・・

東の追分と一の鳥居 東の追分

東の追分と一の鳥居。ここは伊勢別街道との分岐点。かつては、この鳥居をくぐって伊勢参りへと向かっていた。

伊藤本陣跡 川北本陣跡 関宿問屋場跡

島田宿の大井川の川合集落は復元されたもので、江戸時代にタイムスリップした感じだったが、ここ関は、江戸の町並みがそのまま時代が流れ、現代まできたって感じだった。


関の郵便局 郵便局前の高札場跡

関の郵便局。前には高札場が復元されている。

百五銀行

銀行もこのとおり

関宿マンホール 関マンホール

関宿マンホール(左)、宿場の外では右。宿場内のマンホールは景観を意識してかシンプルなデザインとなっていました。

関宿

関宿は観光客が多かった。郵便局の前で記念撮影していると、おじさんに声を掛けられた。「どこから来たの?」と、どうやら自転車で回っているのが気になったらしい。すでに関宿は、鈴鹿峠の入口あたりで少し登ったところである。自転車で来るような場所ではない。「どこから」と聞かれて回答に困った。出身は佐賀、今住んでる所は愛知だが・・・ 自転車で回っているのが気になっているみたいだったで、旅の出発地を答えることにした「東京から・・・」と。すると少し驚いたような表情を浮かべた。予想と違った答えが返ってきたらしい。「東京からだと、どれくらいかかるの?」「今日で5日目です」。「へぇ~」と関心された。自転車で東海道五十三次を走る変わり者はいないのか!?

いた! 関宿を後にして国道1号に合流する。そこで出会ったのが外国人の二人組。国道1号を登って来て、「コンニチハ」と一言いって追い抜いて行った。さすが、外人さんは馬力が違う。しかし、国道を登って来たって事は、関宿を見ていないのか?
次の宿場、坂下宿(さかのしたしゅく)へ。

坂下宿

ここからしばらく国道を走る。坂下宿へ向かう分かれ道で、外国人ふたりに追いつく。止まって地図を見ていた。意外とアナログなんだなぁ~。「お先にー」と先を走る。

鈴鹿馬子唄発祥之地碑

鈴鹿馬子唄記念館を過ぎたあたりで外国人二人組が追いついて来た。しかし、この先の道を左に曲がり、国道1号へと向かって行く。この先、まっすぐ行けば坂下宿なのだが・・・ 宿場を避けて走っているのだろうか?

松屋本陣跡 大竹屋本陣跡 梅屋本陣跡 小竹屋本陣跡 法安寺

坂下宿は茶畑の中に本陣跡の石柱が立つのみ。
この先、再び国道1号に合流して鈴鹿峠に挑む。旧東海道はこの先、何度か国道から分かれるが、峠越えの道は自転車が通れるか分からないので、確実に通れる国道を走って峠を越えることにした。箱根峠に次ぐ難所、鈴鹿峠を登るぞ!

最初の旧東海道への分かれ道。再び、外国人の二人組に追いつく。また、地図を見て迷っているようだったが、旧東海道へと曲がって行った。チャレンジャーだ! 無事、国道へ戻って来れるのか。
国道は「登り」と「下り」がそれぞれ一方通行の別の道になっていた。坂下宿から合流すると「下り」側の道となり、車道を走ると逆行することになってしまう。そのため歩道を走ることにした。箱根峠ほどの勾配はなく、自転車を降りることなく峠を登る。やがて、外国人二人組がヒッコリと前方に姿を現した。自転車を降り押しながらの国道への合流。やっぱ、きつかったんだね、峠の道。「今日、京都ニ、ゴールシマス」って言っていた。すでに午後1時半、京都までは70kmも残っているぞ! 頑張れ!

鈴鹿峠攻略 滋賀県に突入

13:30 鈴鹿峠攻略、滋賀県に突入。この先で「登り」と「下り」の道は一つになる。ここからは車道を走る。スピード上げて行くぞ!! 次の宿場、土山宿(つちやましゅく)へ。

土山宿

海道橋 海道橋2

海道橋を渡り鳥居の前を通る。今日は天気もよく暑かった。

田村神社の二の鳥居 田村神社の一の鳥居 田村神社の池

田村神社の境内は木陰に包まれ涼むには丁度いい。

道の駅あいの土山 土山宿へ 土山マンホール

14:05 国道を横切り、道の駅あいの土山。ゴールデンウィークも終盤。今日は本当に人が多い。道の駅の裏にまわり土山宿の石碑。ここから土山宿へ。

土山宿問屋場跡 二階屋脇本陣跡

問屋場跡から宿場の中心へ。

土山宿本陣跡 土山宿問屋宅跡 明治天皇聖蹟碑

本陣跡と問屋宅跡。ここ土山宿は連子格子の家が多く残っている。
次の宿場は水口宿(みなくちしゅく)。

水口宿

水口宿へは国道を縫うように走り、水口バイパス手前を左へ。

水口宿へ 水口マンホール

左に入ったところに水口宿の標柱。

水口宿高札場跡

三筋の通りの入口あたりに高札場跡。ここから宿場の中心だ。三筋の通りは文字通り、街道が3つに分かれてる。この先、駅前の三筋の広場でひとつになる。

三筋の広場の時計台 三筋の広場

三筋の広場の時計台。3つに分かれた街道の合流地点。

横田の渡し跡 横田の渡し跡2

水口宿を抜け、しばらく走ると横田の渡し跡。昔、このあたりでは野洲川は横田川と呼ばれていた。渡しのない今は国道1号へと迂回する。

石部宿

三雲駅の先で旧東海道へ戻る。この先、JR草津線を横に見ながら石部宿(いしべしゅく)へと向かう。

湖南市マンホール 湖南市マンホール2

湖南市のマンホール。ご当地マンホールとしてはデザインがイマイチ。もうすこし、どうにかならんかったのか?

これより石部宿 石部宿 石部宿2

落合川を渡り石部宿へ。

石部宿本陣跡 石部宿マンホール

16:30 小島本陣跡

次の宿場の草津宿までは12kmほど。京都までは38kmほど残っている。草津まで1時間、京都までは3時間といったところか。京都に着く頃には日が暮れてしまっている。やはり、草津市で一泊すべきか? いや、一泊すべきだ! 今夜は飲むぞ!!! 懐かしの草津市へ。

間の宿・六地蔵 栗東市マンホール

石部と草津の中間にある間の宿・六地蔵。栗東市から草津市へ。

草津市

17:15 草津市内へ入る。少し早いが今日はここで終了だ! ゴールの京・三条大橋までは約26km。明日にゴールは持ち越して、今日は行き着けだった飲み屋でプチ豪遊だ。
まずは腹ごしらえ、餃子の王将で飯を食う。朝食にホテルのバイキングを食べてから何も口にしていなかった。食事を終えスマホでホテルを予約する。さあ、今夜はプチ豪遊・・・ ところがホテルが見つからない。空き部屋が全然ないのだ! うかつだった。ゴールデンウィーク終盤の金曜日。どこもホテルは満室だった。大津市、京都市でも検索してみるが、ホテルは見つからず。どうしたものか・・・

草津市内のホテルを回る。ひょっとしたら空き部屋があるかもしれない。しかし、行く先、行く先で満室だと断られ、気がつけば午後7時を回っていた。あたりも暗くなり始める。そして、やってしまった。軽く転倒。膝を擦りむいてしまった。ズボンに血がにじむ・・・ 最悪の一日だ。ホテルを探すのは諦め、ネットカフェに泊まることにした。

20:00 南草津駅近くのビィビィへ。ここはカラオケやゲームなども楽しめる総合アミューズメント施設です。カラオケの一室に入り、今日はここに泊まることにした。・・・ 今夜は飲み屋で飲み明かす・・・ そんな予定は脆くも崩れ去った。しかし、気持ちが治まらない。ビールを2杯飲み干し、なかばヤケクソになって、ひとりでカラオケを歌った。明日はいよいよ京・三条大橋にゴールです。

怪我した 怪我した2
こけて軽く擦りむいた。ズボンに血がにじむ・・・

本日の走行データ
走行データ
本日の走行距離119.8km、平均速度9km/h。なんと、昨日より走っていた。鈴鹿市と草津市でそれぞれ15kmほど迷走してしまった。最高高度407mは鈴鹿峠にて。

注)この記事は東海道五十三次の旅から帰った後に書いております。

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