みちしるべ2

元トヨタ期間工が田舎でゲストハウスを経営!日本でゲストハウスは馴染まないのか?

東海道五十三次 4日目(前編) 吉田宿(よしだしゅく)~知立宿(ちりゅうしゅく) ・・・

     東海道五十三次の旅

東海道五十三次自転車のたび4日目

東海道五十三次の旅、4日目。後半戦に突入です。今日も風が強い。「北西の風、やや強く・・・」またまた、向かい風だ! 朝の風は冷たい。冬に逆戻りしたようだった。今日も走る距離は長い。愛知県を通り抜け、三重県鈴鹿市近辺まで行く予定だ。豊川~知立は一度走っているし、刈谷~名古屋も走っている。今日はすんなり行けるのか?

吉田

路線電車が走る街、豊橋市からスタートです。昨日は途中、旧東海道から離れ、最短距離で豊橋駅近くのホテルへと向かった。かなり、ショートカットしている。もと来た道を戻ろうか?・・・いや、ココはちょっとズルをして、次の宿場へ向かうことにした。だが、本陣跡だけは押さえておこうと吉田宿の本陣跡を目指すが・・・道を間違え、本陣跡を見つける事できず。

路面電車の走る街豊橋

路線電車が走る街、豊橋市


豊橋マンホール 豊橋マンホール2 豊橋消火栓

豊橋市マンホール2種と消火栓。イッテQでも紹介された豊橋の手筒花火がデザインされています。消火栓にも手筒花火・・・ 火の用心って事ですか?と、ツッコミたくなった。

西惣門

吉田宿では、西惣門(にしそうもん)だけ見つけることができた。毎回、デダシで道を間違える。呪われてるなぁ~

とよはし

豊川に架かる「とよはし」を渡る。風で帽子が飛ばされそうになった。耳がヒリヒリする。日焼けでもしたのかな・・・。

御油・赤坂

豊橋市から豊川市へ。愛知県の旧街道は、ほぼ国道1号を縫うように走る。国道1号は交通量が多く、車道を走るには、なかなかの勇気がいります。こう、風が強いとマジで怖い。ここらは以前、香月堂アウトレットへ行った時に一度走ったことがある。その時は国道1号を走ったために、御油(ごゆ)、赤坂宿(あかさかしゅく)は見ていない。旧東海道は国道と違い交通量は少なく走りやすかった。

伊奈一里塚跡

旧街道は、ほぼ一本道。伊奈一里塚跡(いないちりづかあと)を通り過ぎ、御油、赤坂宿へ。

豊川マンホール 豊川マンホール2

豊川市マンホール。豊川稲荷が有名らしく、キツネと御油の松並木がデザインされていた。

御油本陣跡 御油ノ松並木 御油ノ松並木2

御油宿の本陣跡。この先に天然記念物にもなってる御油の松並木。松並木を抜けると赤坂宿だ。

音羽マンホール

音羽町マンホール

赤坂本陣跡 赤坂問屋場跡 赤坂問屋場跡2

赤坂宿の本陣跡。向かいに問屋場跡。この後、しばらく走り国道1号と合流し、藤川宿(ふじかわしゅく)へと向かう。

本宿 本宿の冠木門 右国道、左東海道

本宿町の冠木門(かぶきもん)。この先に「右国道1号、左東海道」の道しるべ。ここで一度、国道1号と離れるがすぐに合流。国道1号を走る。

藤川

ここは以前、走った香月堂アウトレットへの道のりと重なる。あの時も風が強かったなあ~。いぜん風は向かい風、ペダルが重い。空気も乾いていて、唇がカサカサになる。口を開けると唇が切れて痛い。尻も痛い。旅は4日目。疲れも溜まり足はもちろんのこと、腕や肩まで筋肉痛で痛い。まさに満身創痍。心が折れそう・・・

藤川宿へ

藤沢宿への入り口が見えた。曲がってすぐに東棒鼻(ひがしぼうばな)。棒鼻とは、宿場の出入り口のこと。宿場により見付、木戸、口門といろいろな呼び方があります。

藤川宿問屋場跡 藤川西棒鼻跡

問屋場跡と西の棒鼻。藤川宿を抜け、岡崎宿(おかざきしゅく)へ。

岡崎

名鉄の踏切を渡り松並木を抜けて、国道1号と合流。しばらくして再び国道を離れる。旧東海道は国道1号を縫うように走る。

大平一里塚

乙川(おとがわ)を越え、大きなヒノキのある史蹟大平一里塚。国道1号の横を走り岡崎市内へ。岡崎は、家康が浜松城に移るまで本拠にした岡崎城の城下町。宿場内の街道は「二十七曲り」と呼ばれ、曲がり角の連続である。

二十七曲がり案内図の石碑 二十七曲り入り口

「二十七曲り」の入り口。掛川は「七曲がり」だったが、ここは「二十七曲り」。

二十七曲り道しるべ 二十七曲り道しるべ2

各曲がり角には、道しるべが立っている。「ここは間違えないで通れるだろう」と思ったが、甘かった。途中、道しるべを見失い・・・二十七曲り、曲がりきれず! そもそも二十七曲りは、敵の侵入を防ぐためのものだろうから「してやったり」ってところだろうか。岡崎市の市街地は人も多く自転車は走りづらい。こうなると記念碑も見つける事ができず・・・ 二十七曲りをショートカットして市街地を抜ける。

岡崎市マンホール 岡崎市マンホール2

国道1号を交差して進み、岡崎城を横に見て、このあたりが八帖町。八丁味噌の老舗が二軒あって味噌蔵が並ぶ。国道1号へ戻り矢作橋(やはぎばし)を渡る。江戸時代には東海道で最長の木橋だった。
次の宿場は知立宿(ちりゅうしゅく)。

知立

宇頭駅の北で旧東海道は国道1号から右へ分かれる。この先、見たことのある風景が広がる。ここはいわくつきの地、安城市。ト○タ車体の寮、コ○モ浜屋寮がある場所だ! あまり、来たくなかったなぁ~。寮の前の松並木の道は、旧東海道だったのか。

東海道の松並木 コスモ浜屋寮 安城市マンホール

松並木の中を走っていると、見えてしまったコ○モ浜屋寮。
この先、知立の松並木。国道1号と交差し知立宿へ。

池鯉鮒宿

「池鯉鮒」と書いて「ちりゅう」と読む。本陣跡は見つけられなかったようだ。反対側の車線にある石碑などは、どうしても見逃してしまう。途中、史跡や観光によることなく、ここまで来てしまった。

ここ知立市から、我がアパートまでは10キロ程度か? ず~と、観光を重視するべきか? 5日間の日程を重視するか? 葛藤していたが・・・吹っ切れた! もう対向車線の記念碑は、どうでもいい。5日間で東海道五十三次を走り切る! ここで一度区切って、後日改めて知立宿から京・三条大橋まで走るという選択枠もあったが。なんか、この旅の意味合いが違ってくるような気がする。一気に走り切るのに意義がある。そんな気がしていた。先へ行くぞ!

知立神社

知立神社。5月2日、3日に行われる「知立まつり」の準備の真っ最中だった。この先、逢妻川を渡り国道1号と合流する。国道に入らずに、まっすぐ進むとト○タ車体の富士松工場へ。6日から仕事だと思うと気が重い。早くこの地から離れなければ・・・
次の宿場は鳴海宿(なるみしゅく)。

後編へ続く・・・

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